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電脳おでん村正店長、
ゆきまるの日常や考察。

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レトロゲームをSFのようにするなかれ

目次

永遠に終わらない、SF論争というラグナロク。

SFというジャンルは、その定義が広く曖昧であるゆえ、多くの論争を生み出してきました。

そもそも、何がサイエンス・フィクションなのかどうなのか。扱うテーマが広義にわたるため、ミステリーやラブロマンスのように定義が難しく、古典SF的なロボットやタイムリープを出せば正統派SFになるのかなど、様々な議論に認識が人によって異なり、常に(不毛な)争いの火種となりつづけました。

70年代からSFが一般化し、多くの人々が親しむようになると、市場を見込んで多くのSF作品が生み出されるようになりました。

しかしSFにライト層が入り込むことで、古参のSFマニアがライトユーザーの知識の少なさをバカにしたり、ライトユーザー向けに書かれた作品を「こんなものはSFではない」と酷評する事態が起きました。

これは日本だけの現象だけではなく、アメリカを始め世界的な傾向だったと言われています。

結果、多くのクリエーターが「うるさい小姑マニア」から逃げるように去っていき、自分たちなりにSFを楽しみはじめたライト層も、大きな顔をして新参者を馬鹿にするマニアに嫌気が差し、SFの世界から消えていったのでした。

このような流れがある中で、日本では80年代のロボットアニメの隆盛でSF人気は保たれたものの、90年代に入ると鉄板だったロボットアニメも人気が低下。気がつけがSF専門誌も一誌を残すのみとなり、まさに冬の時代に突入することになりました。

コンテンツを支えるのは消費である。

SFが下火になった背景にあるのは、ユーザーの閉鎖性と、それに伴う市場の縮小です。
一部のヘビーユーザーを満足させるためだけのコンテンツだけが供給され、ライトなものはヘビーユーザーが排除する。この相互作用により新規ユーザーが入れなくなり、結果として消費が進まなくなるという悪循環に陥ります。

SFに限らずどのジャンルもそうですが、コンテンツというものはお金がないと生み出せません。

同人誌やなろう小説のように、個人が趣味で作っているものもありますが、商業ベースに乗せるとなると、売上すなわちどれだけ消費者に受け入れられるかが大切になってきます。

つまり、かけた費用に対し、どれだけリクープ(費用回収)できるかが鍵となります。

いくら作品性とか綺麗事を言っても、コンテンツはお金がすべてなのです。

これはゲームも同じです。

いや、今や映画やアニメに次ぐ巨大コンテンツ産業となったゲームにおいては、膨大化する開発資金はもはや大きな課題であると思われます。

そのため、個人開発者がクラウドファンディングを行うような場面もちらほら見られるわけですが、当然ながらいくら資金を注ぎ込んで作ったゲームも、消費者がいないと売上にはなりません。

そしてライトユーザーが増えないジャンルは、やがて90年代のSFのように冬の時代を迎えることになるのです。

消費者が去っていったジャンルがどうなっていくかは、これまで話したとおりです。お金にならないジャンルからは多くの企業が撤退し、コンテンツが作られなくなるという負のスパイラルをへて、冷えた世界へと陥っていくのです。

ゲーム配信のおかげで再注目されてきたレトロゲームというジャンル

さて、「電脳おでん村正」は(エア)レトロゲームおでん屋です。

レトロゲームおでん屋の定義については別ページにありますのでここでは割愛しますが、ともかく私自身がレトロゲームが好きなので、レトロゲームファンが北区名物のおでんをつまみながらレトロゲームを遊んだり、談義に花を咲かせる場所を作りたいと思って開店を決意しました。

しかし、「電脳おでん村正」は高田馬場方面にあるレトロゲームセンターのようなガチの人たちが集まる場所ではなく、もっとゆるくファミコンやゲームセンターの話ができる、楽しい場所にしたいと思ってます。

私自身もそこまでのガチレトロゲーマーではありませんし(そもそもそこまでゲームがうまいわけでもない)、言うほどレトロゲームに詳しいわけではありません。ただ、レトロゲームが好きな、ちょっとビジネスが得意なおじさんに過ぎません。

なので人によっては「そんなライトレトロゲーマーが、レトロゲームでビジネスをするな」と思うかもしれません。

しかし、大事なことなので二回言いますが、ライト層がいないと市場は拡大していきません。

ほとんど中古のレトロゲーム市場に拡大もへったくれもあるのか、と思う人もいるでしょうが、例えばレトロゲームを扱うお店も、いまだにレトロゲームを購入してくれるファンがいなければ成り立ちませんし、昨今流行している現行機への移植や「~ミニ」に代表されるオールインワンのゲーム機の発売もありえません。

これらの市場を現状のヘビーゲーマーたちが支えられるなら結構ですが、彼らの財布にも限界はあるし、複数購入してくれるわけではないので、頭数以上には売れないという現状もあります。

そして彼らにも経済的な寿命があるので、常に新規ユーザーを取り込みレトロゲーマー仲間を増やしていかなければならないのです。

そういう意味で、「村正」はライトなレトロゲーマーや、これからレトロゲームを楽しんでみたい人たちの入口になれればと考えています(もちろん、ヘビーな方たちも大歓迎ですが(笑))。

そのレトロゲーム界隈も、ここ二、三年で大きく変化しはじめました。

まずは「ファミコンミニ」のヒット。これにより、レトロゲーム需要が想像以上に埋蔵されていることが分かりました。そのため各社は、様々な「ミニ」商品を販売。ゲーム機を所有していなくても子供の頃に遊んだゲームや、親に買ってもらえなかったゲームが遊べるようになりました。

次にVtuberを始めとするゲーム実況者のレトロゲーム配信。これにより、レトロゲーム世代ではなかった若年層にもレトロゲームに関心を持つきっかけが生まれました。

個人Vtuberの中にも、全く世代でない若い人たちがレトロゲームをチャレンジしている方がいますし、秋葉原のレトロゲームショップに行けば、20代の若い人たちがファミコンのカセットを片手にわいわい話をしている場面に遭遇します。

このような背景もあって、レトロゲームに関する様々な商品がここ二、三年ほどで多く発売されました。

これはすなわち、レトロゲームがちゃんと商売のタネになったということです。
このことはレトロゲーマーにとっても福音であったはずです。待ち望んだゲームのリメイクや現行機種への移植などが進み、気軽に子供の頃に遊んだゲームが遊べるようになったのですから。

しかし、事はそう簡単にハッピーな方へとはいかなかったのです。

レトロゲームの「完全移植」とエコーチェンバー

このように、特定の実機や基板を持っていなくても、「ミニ」や現行機の移植で気軽にレトロゲームが楽しめる環境が整いつつあります。

しかし一方で、昔から続く「移植論争」が絶えることはありませんでした。

特に、移植作品が出ると手持ちの実機版や基板と比べて差異をSNSに投稿するレトロゲーム系インフルエンサーが毎回出てくるわけですが、彼らが実機や基板を持っていることをいいことに、強い言葉で移植作品をけなす様は、「ライトユーザー」である私としては、あまり気持ちのいいものではありませんでした。

当然ながら、移植作品はオリジナルとは違います。完全移植をうたいながらも若干の差異があるのは昔からある話であり、それこそ細かい違いを見つけて鬼の首を取ったようにSNSにあげるような行為に何か意味があるのかと私などは思ってしまうのです。

ですが、彼らは影響力が強いゆえに、そのダメ出しが多方向に影響することも少なくありません。

私自身はA型なのに大雑把な性格なもので、ここの移植が完璧じゃないと言われても気づきませんし、気にもなりません。ラグや処理落ちを感じたりもすることありますが、むしろ実機なしで現行機で遊べるようにしてくれてありがとうという気持ちで、わざわざ文句を言うほどの話かと思ってしまいます。

例えばPROJECT EGGのエミュレーターは他機種に対応しているため、若干のラグがあります。
繊細な二段ジャンプが要求されるザナドゥ・シナリオⅡなどではラグのせいで入力が遅れ、難度の高い地形で苦戦することも少なくありませんでした。

でも、私はPROJECT EGGの活動をとてもありがたいと思っています。多くのレトロPCゲームの権利を取得し、現在に発売するのは並大抵の苦労ではありません。私はもともと映像を買い集め配信する仕事をしていたので、配信権交渉がとても大変なのは身に染みて分かっております。ましてや、会社が解散し権利元が分からなくなっているゲームもあります。

本当に大変なことだと思いますし、その情熱に感謝しています。

しかしどの界隈にも自分の感性よりも声の大きいインフルエンサーの言葉を真に受けてしまう人が多いわけで、彼らが一斉に批判(批評)に共鳴すると、SNS上で大きな騒ぎになったりもします。

同様に、声の大きいインフルエンサーが手放しで褒めると、それに同調する節があります。

例えば、完全移植で定評のある某社の移植を批判する声は少ないです。誰もが完全移植だと称賛し、普段は厳しいヘビーなレトロゲーマーも太鼓判を押します。

つまり、レトロゲーム界隈、特にヘビー~ミドル層が集まる界隈は狭いがゆえ、同調圧力が非常に強いエコーチェンバーの中にあると言っても過言ではありません。

一つの例え話をします。

私は完全移植で定評のある某社の移植作品を購入しました。
私もその会社の移植作品を多く購入しており、しかも自分がゲームセンターで20年以上プレイしているタイトルを移植してくれるとあって、とても楽しみにしていました。

結果から言えば、それは不満の残る移植でした。演出面や細かい部分での違いが多かったのです。

私は5年前からゲーム実況をしているのですが、腕に自信のあったこともあり発売日直後に実況を行いました。

しかしゲームの妙な挙動に違和感が拭えず、「これは完全移植ではないのでは」という旨の発言をしました。

しかしリスナーは某社の移植は「完璧」と捉えている人も多かったので、むしろ私の感性のほうが疑われる始末でした。

結局、正しかったのは私の方で、そのゲームは後に修正パッチが入ることになりました。
しかしそれでも原作と挙動が違う部分があって、違和感は完全に拭い去ることはありませんでした。

この話で言いたいのは、某社の批判ではありません。
むしろ現行機で気軽に好きなゲームをゲームセンターまで行かずに遊べるようにしてくれて、感謝しているくらいです。

でも、レトロゲーマーが完璧というその会社も、いつも完全移植できているわけではないということです。そして盲目的に某社の移植を完璧と思いこんでいる人が多いこと、そのような人たちが某社以外の移植作品に対し批判しているのをみると、とても「もやっ」とする、ということです。

面倒な古参ゲーマーによるマウンティングと弊害

さて、冒頭にSF論争のお話をしました。

これと同じ現象が最近、レトロゲーム界隈でも発生しているように見受けられます。むしろ、レトロゲームブームが訪れたことにより、顕在化したと言えるかもしれません。

○○を知らなければレトロゲーマーを名乗らないでほしい、という言説。唐突にFM-7あたりのゲームを持ち出しマウンティングしてくるヘビーゲーマー。知識を振り回し若いファンを小馬鹿にする古参など、枚挙に暇がありません。

確かに、せっかくレトロゲームに興味を持ったのなら、レトロゲームに対していろいろな興味を持ってほしいとは思います。

でも、ファミコンが流行った頃には生まれてなかったような若いファンからしてみれば、実際的な体験がないぶん、収集しなければならない情報がリアルタイムに遊んでいた世代よりも膨大となります。体験がないぶんを既存の知識で補わないとならないからです。

その努力の量を、リアルタイムで体験した人たちが決めて、満たしてない場合にバカにするような権利がどこにあるのか、と私は言いたいです。いちレトロゲームファンとしては、ライトな方、若い方がレトロゲームに触れてくれれば嬉しいと思ってしまうのですが、SNSではこの手のマウンティングが見受けられ、あまりいい気分がしないと思ってしまうのが本当のところです(私もマウンティングされたことがありますし)。

例えばレトロゲームに携わる仕事をする、もしくはレトロゲーム配信をしている人にはそれなりの知識を持ってほしいとは思いますが、一般のユーザーはカジュアルに楽しんでいいと思うんですよね。そして古参の人たちはそれを暖かく見守るくらいの度量がほしいなと思います。

また、移植度やレスポンスがどうこうという話も一旦脇に置いておいて、復刻してくれてありがたいという気持ちも持ってほしいなと思います。細かくケチをつけはじめればキリがないし、やがて面倒なファンを相手に商売する気も失せて一気に市場が消滅しかねません。

でないと、SF界隈の二の舞いになってしまいのでは、と思う今日このごろです。

ところで、70~80年代に古参マニアから迫害されたSF作家たちは、面倒な界隈を離れて新天地を求めファンタジーに逃れていったといいます。そこで多彩な才能が生まれ、ファンタジー関連のコンテンツが世界中で盛り上がったという話があります。

ゲームも、気がついたら一山当てると大きいソーシャルゲーム以外に残らなくないと言う状態にならなければいいですね。

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