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電脳おでん村正店長、
ゆきまるの日常や考察。

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大震災とアルバトリオン

11年前の今日は、東日本大震災が発生した日でした。

当時、ある程度は大きな会社に勤めていた会社員だった私は、社食での昼食と日課の部内モンスターハンターポータプル3rd(以下MHP3rd)大会を終え、ぼんやりと自分のPCの前で、半分サボり気味に仕事をしていた気がします。

そして昼休み終了から一時間ほどが経過した14時46分。突如、会社のビルを大きな揺れが襲いました。

轟く悲鳴。壁際のスライド書棚がガチンガチンと不穏な金属音を響かせ、ビルが揺れる地鳴りのような音が耳を通り抜け脳を貫きました。

揺れが収まった後、周囲を見渡してみれば、社屋の窓の向こうに天に立ち上る勢いの太い黒煙が見えました。

窓際に集まる社員の頭越しに見ると、東京湾の向こうにあるコンビナートが火災に見舞われているようでした。

それはまるで終末のような光景でした。女性社員は恐怖にかられて泣き出し、その声が社員たちをなお不安にさせました。

もはや誰しもが正常なメンタリティではいられませんでした。

そして第二波の襲来。皆が一斉に机の下に隠れる中、部下のヤングが「親戚の葬式で早く帰らないといけないから」と、一人で平然と仕事していたことを思い出します。

地震発生の二時間後。会社から任意で帰宅してもよいという通達がありました。
しかし、この時間には電車もすでに運休し、道路のグリッドロックも始まっていました。

徒歩圏の同僚が帰る中、会社のあった品川シーサイドから北区王子の自宅まで帰る持久力も気力もなかった私は、とりあえず電車が動くのを待つことにしました。

うちのチームは、男性は私を除き全員が徒歩や車で帰宅。

一方、女性陣は皆会社に残ることになったので、彼女たちと共に近所のイオンに夕飯を買いに行きました。会社が飲酒OKという粋なはからい(?)をしてくれたので、お酒も買おうと盛り上がったのを覚えています。

もっとも、夜にはイオンにもほとんど食べ物は残っておらず、買えたのはおにぎり二つと、普段は飲まないレモンチューハイだけでした(私はウィスキー派です)。

結局、日付が変わっても電車は動かず、当日中に帰るのは絶望的となりました。帰宅難民決定です。
2011年3月11日は金曜日。翌日が休みだったのは幸いだったと言えるでしょう。

本震発生以降、頻繁に訪れる余震が社屋を絶え間なく揺らし続けてましたが、そんな状況も半日も続けば慣れてしまいます。
酔いの勢いもあって「お、今の余震は大きかったな?」と冗談を飛ばすくらいの余裕もできました。

こうなると、途端にヒマと感じるのが人間です(私だけかもしれませんが)。

スマホでワンセグを見ても、同じニュースを繰り返すだけになり、新しい情報もなくなりました。

民法は津波の映像ばかりで、見ているほうが不安になるので、私はPSPの電源を入れ、MHP3rdを遊びはじめました。幸い、充電アダプターも持ち歩いていたので、電車の運転再開がいつになっても待つことができます。

そしたら同じチームの女性が一緒にやりたいというので、ローカル接続して狩りにいくことになりました。

彼女はアルバトリオンの素材が欲しかったので、地震で揺れるビルの中で、ひたすらアルバトリオンを狩り続けました。

この頃のモンハンは最新作のRiseに比べて、装備一つ作るにも多大な素材量を要求された上、ドロップも渋かったです。

特に重要部位のキーとなる逆鱗や宝玉の類は本当にでなくて、欲しい人ほどでない現象が多発していたため、物欲センサーという言葉が流行るほどでした。

そのため、何体もアルバトリオンを買っても必要な素材が揃わず、気がついたら東の海の方から太陽が登っていました。

そう、私達は地震で揺れる中、徹夜でモンハンを遊んでしまったのです。

ニュースを確認したところ、地下鉄と京急本線が動き出したとのこと。
これで帰れると青物横丁駅まで歩き、そこから経路は忘れましたが、最後は東京メトロ南北線に乗って王子に帰ってきました。

幸い、家の中は地震の影響はなく、食器棚も本棚も、テレビも無事でした。

良かったと思いつつ、シャワーを浴び、さっさと寝てしまいました。

徹夜でモンハンを遊んだ反動からか、翌日は土曜日ということもあり、昼過ぎまでひたすら寝ていました。

そして空腹を覚えて目覚めた時、世界を震撼させるあの事故が発生したのです…。

東日本大震災と言うと、悲惨な出来事ばかりが想起されますが、私は毎年3月11日になるたび「そういえば、アルバトリオンを狩りまくってたなぁ」と思い出してしまいます。

そして今はもう動かない、私のPSP。

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