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電脳おでん村正店長、
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任天堂ゲーム機と「枯れた技術の水平思考」に対する誤解

目次

ファミコンは低スペックなのか?

最近、ファミコンを「低スペック」と呼ぶ記事や動画が増えています。

例えば今私が開いているYoutubeのトップにも「低スペックなファミコンで実現したアーケード移植」というニュアンスのタイトルがつけられた動画のサムネが表示されています。

また、WebニュースやSNSなどでもファミコンを低スペックとする記事や投稿が少なからず見受けられます。

確かに、レトロゲーム機はロースペックなマシンです。

しかし、それは現在の技術水準から見た話であって、当時のテレビゲーム機はハイテクの塊のような存在でした。

CPUや音源チップ、その他多くの集積回路を未来都市のビル群の如く搭載し、テレビに映像を出力するマシン…。

ゲーム&ウオッチを代表とするキャラの表示パターンが決まってた電子ゲームから、テレビに接続し自由にキャラを動かせるアーケードライクなゲームが遊べるようになった感動は、当時のゲームキッズなら誰もが感じたと思います。

最近、このようなレトロゲーム機、特にファミコンを現在のゲーム機と比較した、「ファミコン低スペック論」が跋扈しているように思えます。

さらにはファミコンのことを任天堂の横井軍平さんの名言である「枯れた技術の水平思考」になぞらえて、使い古された技術を結集して作り上げた安上がりなマシンだという誤認があるようです。

これらの見解は、果たして本当なのでしょうか。

私の考えは「NO」です。

40年たった今でこそファミコンはチープなマシンに見えるでしょうが、当時の8bit機、例えばセガのSGやMSXといったマシンに比べても一線を画する驚異的な性能であって、任天堂が本気でアーケードゲームを家庭で遊べるゲーム機を作ったのだと思ったものです。ロンチタイトルがアーケードでも人気だったドンキーコングにドンキーコングJr.だったところを見ても、任天堂の自信のほどが見て取れるというものです。

つまりファミコンは、「枯れた技術」どころか当時最新の技術を注ぎ込まれた渾身のマシンだったのです。

そのあたりの話は、ファミコンの開発責任者である上村雅之さんの本でも書かれています。

任天堂の開発史における誤認が多いのは、横井さんの「枯れた技術の水平思考」という言葉が独り歩きしてしまった点にあると思います。

任天堂ハードどころかゲームに詳しくない人間が、ファミコンと「枯れた~」を結びつけて知ったような記事を書き、そのいい加減な論拠を今の技術から見たファミコンのロースペック感がお墨付きを与えてしまい、おかしな信憑性を与えてしまったというのが、これらの誤認識がまことしやかに広まった原因でしょう。

任天堂が作ったものすべてが「枯れた技術の水平思考」ではない。

当然ですが、「枯れた~」はあくまで横井さんの考えであって、あらゆる任天堂のプロダクトに適用されている話ではありません。

ファミコンに限らずDSやWiiの開発の説明においても、「性能はチープでも今ある技術を転用し」などと、無理やり「枯れた技術の水平思考」に結びつける論や記事があります。

これも当たり前の話ですが、ゲーム機の特性はCPUやGPUのスペックで決まるものではありません。

一番大きいのはコストであり、そこを需要にマッチした価格に落とし込むことです。そしてなにより、任天堂はユーザーに遊ばせたいスタイルや体験を非常に重視し、それに合わせてコスト計算をしていくのが上手な企業です。

上ではファミコンは当時信じられないくらいのハイスペックだったと書きましたが、それでもゲームをやる上では関係ない部分や、関係あってもコストが削れる部分に関しては妥協をしました。

DSやWiiも枯れた技術の水平思考の産物と呼ばれることが多いですが、それにしてもコンセプトに対して既存の技術を低コストで応用できたからしたまでのことでしょう。

仮にタッチパネルやジャイロがなかったら、任天堂は自社開発の道も模索したと思います。DSとWiiは「Touch! Generations」というコンセプトを打ち出し、マニア化の一途をたどるゲームの一般化を目指して開発されたものであり、ゲーム&ウオッチの時のように、液晶が需要過多になったから転用しようとしたような話ではないのです。

全く成り立ちが違うものを、「枯れた技術の水平思考」という便利な言葉でまとめるのは、私には暴論にしか思えません。ビジネスメディアの記事に至っては、ちょっといいことを言おうとして「枯れた技術の水平思考」の根本を理解せず、トンチンカンな内容のものすらあります。

既存のものを使うことすべてが「枯れた技術の水平思考」ではないということを、今一度考え直してほしいと思う、今日このごろです。

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